矢井田 瞳が語った25年間の音楽と人間への愛「身近な人に優しくすることが知らない誰かの幸せにきっと繋がる」【GO OUT MUSIC FILE vol.7】

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 2000年夏、ヤイコこと矢井田 瞳のデビューは鮮烈だった。自由奔放なハイトーンボイス、感情をまっすぐに届けるラブソング、躍動感あふれるパフォーマンスで音楽シーンに旋風を巻き起こし、“My Sweet Darlin’”“Look Back Again”など大ヒットが次々と生まれ、大阪ドームや東京ドームでの公演などを成功させた、あの頃のヤイコのまぶしい姿を忘れられないというGO OUT読者/GO OUT CAMPのオーディエンスも少なくないだろう。

 そして2025年夏、デビュー25周年を迎えたヤイコは「どんどん音楽が好きになっている」と語る、優れたシンガーソングライターであり、素敵な母親であり、音楽と人生を楽しむ素晴らしい女性になっていた。8月にリリースしたニュー・アルバム『DOORS』について、25年間の活動について、そして9月27日に出演が決まった〈GO OUT CAMP〉についてのヤイコの言葉を聞こう。そして9月27日、〈GO OUT CAMP〉へ彼女に会いに行こう。

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ドームもライヴハウスもドキドキは変わらない

――2000年にデビューしてから、現在までの25年間を振り返らせてください。最初の10年はどんな時期でしたか。

猛ダッシュな日々でした。でもそんな日々を楽しみながら、周りの人たちに期待してもらうこと自体はすごく嬉しかったし、それに応えたくてがむしゃらに走っていました。自分の技術が追いつかなくて、勝手に悔しい思いをしたこともたくさんありながら、猛ダッシュで走っていたのが最初の5年間でしたね。ただ、それを続けていると、やっぱり心が折れそうになるんですよね。「このスピードで長く走ることはできないし、一度立ち止まらないといけない」と思いつつ、「ここで立ち止まったら辞めちゃうかもしれない」という気持ちもあって。そこで6年目くらいからは活動のペースを少しゆっくりにしてもらって、「自分の気持ちが追いつかないことはやらない」ということを判断基準にして、一つずつ活動内容を見直していきました。新幹線に乗っていたのが、各駅停車に乗り換えたみたいな感じでした。

――前に進んでいることは変わらないけれど。

そんな感じで2009年ぐらいまでやり続けて、ここで一旦立ち止まろうと思ったんです。音楽を辞めたいわけじゃなくて、おばあちゃんになっても歌っているためには、ここで一度お休みしなきゃいけないという気持ちがあったのと、ちょうど子どもができたこともあって、2年間ぐらいお休みをいただきました。子育てでお休みをもらうことで、世間から忘れられる怖さがなかったとは言い切れないんですが、根拠のない「大丈夫!」みたいな気持ちがあったんです。性格的には根暗ではあるんですけど、ポジティブな面も持っていて、「忘れられたらまた一からやればいい」「逆に、先入観を持つ人が減ることはプラスに働くこともある」みたいな、変な前向きさがありました。そして今振り返ると、立ち止まりそうになった時に、もう一度私を前に進めてくれたのは、身近なミュージシャンの先輩の一言だったり、ファンの人の「次のライブが楽しみです」という言葉だったり、常に人が関わっていますね。自分だけの力でまた歩き出したんじゃなくて、人からの作用で前に進めたなと思います。

――以前にヤイコさんから聞いたお話で、HEATWAVEの山口洋さんに「もう限界だと思ったら、もう限界だという曲を書けば?」と言われた、というエピソードを思い出します。

そうなんです。それで言うと、たぶん2004年ぐらいの時期に、パンとコーヒーがどうの、みたいな歌詞を書いたことがあったんですよ。ちょっとかっこつけて。で、洋さんに「朝ごはんはパンとコーヒーなの?」と聞かれて、「そういう時もあるけど、納豆卵かけご飯が多いですね」と言ったら、「いつかそういう方向で曲を書けるようになるといいね」みたいなことを言われて、それはたまに今でも思い出します。曲を書く時に、かっこつけるんじゃなくて、「納豆卵かけご飯な私」の曲が書けたらいいなというのは、常に思います。

――まだ書いてないですよね。

書いていないです(笑)。でも『DOORS』にはちょっとそれっぽい感じというか、昔だったら「かっこ悪いから外そう」と思っていた言葉も入れたりしていますね。

――あえてお聞きしますが、大阪ドームや東京ドームでワンマンライブをやっていた、あの頃の自分自身を今どんなふうに感じていますか。

不思議な感覚ですね。でもこれは本当に強がりでもなんでもなくて、ドームで何万人の前に立つ前の心構えと、ライブハウスに立つ前の心構えは、私にとっては一緒なんです。ほかのミュージシャンとよく話すんですけど、実は50人とか60人とか、それぐらいの人に響かせるほうが難しかったりするんですよね。もちろん「ドームでやるなんてすごい」ということはあるかもしれないけど、私はそういうふうには考えていなくて、今の弾き語りツアーで全国のライブハウスを回らせてもらっている時の、出番の前のドキドキもドームと一緒なんです。そういう規模感は周りが決めるものだと思っていて、私の中では切り離して考えていますね。

出産を経て再確認した音楽愛

――とても健康的な考え方だと思います。さきほどヤイコさんが言われたように、2007年の結婚後、2009年に娘さんが生まれて、新しいステージに進んで行くのが2010年代です。

その時期は、ライブは続けていましたけど、土日だけとか、日帰りで行けるところとか、そういう感じで活動していました。娘が本当に愛おしくて、彼女が小さいこの時期は今しかないと思ったら、なるべく見ていたかったんですよね。なので、作詞とか、楽曲提供とか、おうちで作業できるお仕事を増やしてもらっていました。

――音楽から離れて、家の中のことと子育てに専念するということは、考えなかったですか。

考えました。考えたんですけど、やっぱり私はめっちゃ音楽が好きで、誰に聴かせるわけでもなく、リリースが決まっているわけでもないけれど、娘を寝かしつけた後に曲を書いたりしていると、ものすごく自分の心が落ち着いたりしていたんです。それと、音楽に携わっている時間が、社会と繋がっている時間だという感覚もあって、シンプルに言うと、音楽がすごく好きで離れたくなかったということですね。その時期に、音楽への気持ちを再確認したところはあります。

――その頃に、アコースティック・ライブのスタイルが増えたことも、後の活動に繋がる転機だったのかな?と思います。

そうなんです。「弾き語りをやっておいたほうが、この先長く歌えるかも」と思ったのと、弾き語りを鍛えておけば、フットワーク軽くいろんなところに行けるなという気持ちがあったので。たとえば“My Sweet Darlin’”は、2006、2007年ぐらいまではギターを持って歌ったことがなくて、ずっとハンドマイクだったんですよ。でも「これを一人で歌えたほうがいいだろうな」「今から練習しておこう」みたいなことは思っていました。

――その後、アコースティック・デュオの高高(takataka)と一緒に活動したり、アレンジャーのGAKUさんと出会ったり。弾き語りを鍛えることが新しい出会いにつながりました。。

本当に私、出会いの運は持っています。人との出会いにすごく恵まれていると思うし、たくさん助けられて、勉強もさせてもらえています。ニュー・アルバムの『DOORS』にも、Yaffleさん、中田裕二さん、JIN INOUEさんだったり初顔合わせのアーティストに参加いただきました。新しい方とクリエイトすると自分の血にも新しい風が吹いて、巡り巡ってまた次の曲に新しいエッセンスが入ってくるので、すごく楽しいです。最近やっと楽しくなりました。

――最近やっとですか(笑)。

昔は怖かったんですよ。全然思っていない方向に行っちゃったらどうしよう?とか思っていたんですけど、今は思っていた方向に行かなくても、それを楽しめるというか、その曲が一番輝くアレンジに持っていけるというか、そんな楽しさがあります。

――そして、デビュー20周年を迎えた2020年は、コロナ禍から始まってしまいました。いろんな意味で、大きなターニング・ポイントでしたね。

そうですね。でも自分だけじゃないというか、地球上のすべてが強制的にスタート地点に戻されたという感じで、いつかは終わるだろうという楽観的なところも、ミュージシャンとしての活動にかぎってはありました。もちろん早く終わってほしかったけれど、「できることをやるしかない」という感じでした。私は幸いにも、「無観客でライブをやりませんか」「リモートで曲作りをしませんか」「医療従事者に向けてのメッセージを集めて、それを元に歌詞を書いて曲を作りませんか」とか、いろんなお仕事をいただいて、わりと忙しくさせてもらっていましたね。SNSのライブ配信を覚えたのも大きかったですし、例えば東京でライブをやっていて、どこからでも見れるのは、すごく利点があるなという発見もありました。

かっこ悪くてもいいから続けられるだけ続けよう

――ポジティブ・シンキングですね。そんな波乱万丈の時代を経て、25周年を迎えたヤイコさんが今ここにいると。

不思議な感覚なんですけど、25年も続けてきて、音楽に飽きたりするかな?と思ったら、どんどん更に好きになっていくんですね。人間って、赤ちゃんがおぎゃあと生まれて、成長して、また赤ちゃんに戻っていくというじゃないですか。私はたぶんもう折り返し地点を過ぎていて、気持ちがどんどん赤ちゃんになっていくというか、楽しい時には「楽しい! 楽しい!」ってなっちゃうんですよ。20代だったら隠していたかもしれない気持ちを、シンプルに「楽しい! 幸せ!」と表現できるので、すごくいいことだなと思っています。音楽は楽しいですね。

――昨年から今年の夏まで、およそ1年かけて全国を回ったツアーも大盛況で、たくさんの人からの祝福の声に包まれた25周年のアニバーサリー。楽しめていますか?

楽しめています。こういうインタビューの機会でも、25周年だからこその質問が多いというか、「振り返ってみてどうですか?」という質問が多くて、そのたびに振り返ることができるので、自分の心の中を整理整頓しながら過ごさせてもらっている感じです。

――そんな思いも詰め込んで制作された3年ぶりのニュー・アルバム『DOORS』、素晴らしかったです。ゴージャスなバンドサウンドもあれば、アコースティックギターと打ち込みのかっこいいアレンジもあって。音楽的にとても自由でカラフルなアルバムだと思います。

嬉しいです。『DOORS』というアルバム・タイトルにも込めたんですが、「いくつになっても新しい扉を開けていたい」という気持ちが今現在もあって、だからこそ1曲1曲わがままに、突き詰めながら作りました。今まで13枚アルバムを出したんですけど、今回は完成した時にこれまでにない達成感と充実感がありました。自分の年齢もあるかもしれないですけど、「次にいつ出せるかわからない」ということも考えながら活動するようになっていて、だからこそアルバムができた喜びはいつも以上に大きかったですね。

――歌詞は、普段の生活から自然ににじみ出てくるものですか。

ファンの方に言われて気づいたんですけど、『DOORS』には恋愛ソングっぽいものは1曲しかないんです。普段の生活の中で、私のフィルターを通して感じたことが曲になっていくので、40代の今だから思う、気持ちの置き所みたいなことを歌った“Mirror”という曲があったり、いくつになってもムカつく時はムカつくということを歌った“やってられへんわ”という曲があったり(笑)。そういうものも包み隠さず出せたら、同年代の方に響いてくれるのかな?みたいな願いはありました。

――“Singing all day”という曲には、生活と音楽を切り離しては考えない、今のヤイコさんならではの等身大のメッセージを感じます。

音楽、仕事、家庭生活とか、全部が一本に繋がっている感覚がより濃くなってきているんですね。社会に対してもそうで、大袈裟に言うと、身近な人を愛することや大切にすることが、回り回って、街中ですれ違う知らない誰かの幸せに繋がるかもしれない。すべてのことが他人事ではないというか、繋がっている感じがあって、自分の娘はもちろん可愛いですけど、たとえば外を歩いていて出会う子供たちにも絶対笑顔でいてほしいというのは、常に思いますね。

――リスナーも、この25年間でいろんな人生の転換点を超えてきて、「昔ヤイコを聴いてたけど、また聴いてみよう」という人も結構いると思うんです。

まさにそうで、8月に大阪と東京でやった25周年のバンド・ツアーの時に、みなさんからのリクエストを募って、そこにメッセージを書いてくれている人が多かったんですけど、「子育てしが忙しくてヤイコから離れていたけど、最近またライブに行けるようになりました」みたいな人も結構いたんです。私が続けていたからこそまた帰って来てくれるし、しかも親子で来てくれたりして、それがすごく嬉しいですね。MCで「20年以上振りの人?」って聞いたら、結構手が上がりましたし、20年も離れていたのにまた来てくれて、本当に嬉しいです。

――あらためて、音楽活動を25年間続けて来れた動機は、何だと思いますか。

何だろう? 性格もあるかもしれないですね。諦めが悪いというか、「続けていたら楽しいことがあるんじゃないか」「まだできることがあるんじゃないか」とか、かっこ悪くてもいいから続けられるだけ続けたいという、しつこさがちゃんとあるというか。

――しつこさが大事。

大事な気がします。私生活ではいろんなことに執着がないんですけど、音楽を続けることに関しては、一本太いものがあると言いますか、諦めたくないという気持ちがあります。

いつか〈GO OUT CAMP〉でキャンプしたい

GO OUT JAMBOREE 2024出演時

――そんなヤイコさんが、今年も9月26-28日の〈GO OUT CAMP〉に出ていただくことが決まりました(*出演は27日)。ここ数年は毎年のように出てもらって、すっかりレギュラーメンバーですね。

ありがとうございます! めちゃくちゃ嬉しいです。

――初出演は2017年でした。これまでの〈GO OUT CAMP〉にはどんな思い出がありますか。

とにかく場所が神々しくて、富士山がどどーん!とあって、「なんていいロケーションなんだ」と第一印象で思いました。富士山がそこにいてくれるだけで、ものすごくいいパワーが巡っている感じがあって。そして2回、3回と行くごとに、キャンパーの人たちの車とかにも目が行くようになったんですけど、みなさん、すごく凝ってらっしゃるんですよね。自分の車の前に、おしゃれなカフェのような空間を演出していて、調理器具も綺麗に揃えて、コーヒーを淹れて飲んでいる人を見ると、「めっちゃ素敵やな、人生楽しんでるな」と思ったのを覚えています。そこにワンちゃんとかいたら、もうこれは幸せの象徴じゃないかと(笑)。そうやって自分の趣味を突き詰めて、こだわってやっている人を傍から見るだけですごく心がウキウキするというか、〈GO OUT CAMP〉に行くたびに「素敵な場所だな、素敵な人たちだな」と思っています。

――歌っている時の、お客さんの印象は?

ロケーションのおかげもあるのかもしれないですけど、大きな空があって、好きな音楽があって、家族とキャンプがあって、すごく伸び伸びしていますね。閉鎖的な空間じゃないので、音楽も人の気持ちも上に向いている感じがあります。私のライブが始まると、前のほうに来てくれる人もいれば、後ろのほうでビールを飲みながら、曲が終わったら寝転びながら拍手している人もいて、それもすごく素敵だなと思います。「私もそっちに行きたい」と思います(笑)。

――ちなみにヤイコさん、個人的にキャンプに行ったことは。

まだないんです。でもキャンプへの憧れはすごくあって、キャンプ用品は結構買っちゃうんですよ。それこそコロナ禍の時に、ずっと家族が家の中にいて、行き詰まるみたいな現象があったじゃないですか。だから我が家はベランダに一人用のテントを買って、そこに行きたい人が行くみたいな、そういうシステムにしていました。ライトをつけて、毛布を敷いて、漫画とかを持ち込んで。でも結局そこにみんな集まっちゃって、ぎゅうぎゅう詰めで入って遊んだりとかして、意味ないじゃんってなってたんですけど(笑)。

――ベランダ・キャンパー(笑)。楽しそう。

我が家のベランダでこんなに気分転換になるんだから、きっと富士山の麓でキャンプしたらめちゃくちゃリフレッシュされるだろうなという憧れはあるんですけど、まだハードルが高くて行ったことがないんです。〈GO OUT CAMP〉を去る時は、マネジメント・チームと「いつかキャンプしたいね」と言っていつも帰っていく(笑)。まず誰か、詳しい人に連れてってもらいたいですね。教えてほしいです。

――あらためて、今年の〈GO OUT CAMP〉を楽しみにしている方へ、メッセージをいただけますか。

〈GO OUT CAMP〉はとても素敵なロケーションで、伸び伸びと音楽がそこに響いて、みんなと空間を共有できることを、今からめちゃくちゃ楽しみにしています。私とパーカッションとピアノと、3人のアコースティック編成でやろうと思っていますので、ぜひ遊びに来てください!

――〈GO OUT CAMP〉の次の週には、子供連れで楽しめるライブ・シリーズ〈おやことやいこ〉を開催したり、楽しい企画もどんどん生まれています。25周年から30周年に向けて、どんな活動を考えていますか。

ふらっと歌いにいけるライブハウスみたいな、ホームみたいな場所ができたら嬉しいなと思っています。小さなライブハウスとかで「今日、演者がいないから歌いに来る?」みたいな感じで言われて、歌いたい時に歌えるような。〈おやことやいこ〉もそうですけど、「ライブはこうあらねばならない」みたいな形にとらわれずに、いろんな形態のライブをやっていきたいなと思っています。

【オフィシャルサイト/SNS】
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矢井田 瞳さんも出演するGO OUT CAMP vol.15の概要はこちら。

GO OUT CAMP vol.21】
公式サイト:www.gooutcamp.jp/goc/
開催日:2025年9月26日(金)、27日(土)、28日(日)
会場:ふもとっぱら(静岡県富士宮市)

出演アーティスト:矢井田 瞳/浅井健一/YO-KING/FNCY(ZEN-LA-ROCK / G.RINA / 鎮座DOPENESS)/スナックはせべ(DJ HASEBE / Tina / ZEN-LA-ROCK)/Spinna B-ILL/naotohiroyama (ORANGE RANGE /delofamilia)/D.W.ニコルズ/ICHI-LOW/Satoshi Miya/+music

 

Photo(LIVE):Hikaru Funyu

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Ryota Tanaka
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