スカート澤部渡×okadada 対談 インドアな2人が語り合う音楽、漫画、少しアウトドア【GO OUT MUSIC FILE vol.5】

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 スカートの澤部渡と、DJのokadada。今年の〈GO OUT JAMBOREE 2025〉を盛り上げてくれた二組は、音楽ジャンルも活動場所も異なるが、実は仲の良い旧友だ。澤部が関わるバンド「トーベヤンソン・ニューヨーク」の人脈で知り合った二人は、互いにリスペクトの念を抱きながらつかず離れず、それぞれの場所で刺激を受け合ってきた、ゆるやかな同志と言ってもいい。

 今年でスカートはCDデビュー15周年を迎え、記念作でもあるニュー・アルバム『スペシャル』をリリースしたばかり。「GO OUT MUSIC FILE」では、スカートとokadadaの対談を実現。文学や哲学に造詣が深く、優れた分析力と語彙を持つokadadaと共にスカートの歌世界を探求した。まずは歌詞を深く掘るところから対談を始めよう。

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揺れてるものを描かなきゃならない。

okadada スカートの歌詞って、出会いの曲がないというか、別れの予感、もしくは別れた後みたいなシーンが多い。そういうのが好きなんですね。

澤部渡 うん、好き。そんなのばっかり書いちゃう。

okadada ひな形、あるんですか。「イメージはこれとこれなんだよ」みたいな。

澤部 全然ある。原体験は高校の頃に読んでいた漫画で、大島弓子さんとか、あとは90年代から2000年代ぐらいの「月刊アフタヌーン」の感じとか、そのへんが下地としては絶対にありますね。

okadada 音楽の歌詞に影響を受けて、歌詞を書いてるわけじゃないんですよね。

澤部 そうなんですよ。松本隆さんや、小西康陽さんの歌詞を読んで、自分はどういうことを言えるだろう?って考えていくと、松本隆さんだったら当時の「ガロ」的なものの影響もあっただろうから、「じゃあ自分も漫画から何かを作れるかな?」みたいな感じはあった。

okadada 澤部さんが一番やらない歌詞って、物語にすることだと思うんですよ。物語のある歌詞って、聴いてて納得しやすいから、そっちのほうが売れると思うんですよね。でもそれをやらない。

澤部 歌詞に関しては、「揺れてるものを描かなきゃならない」という気がどこかにあるんですよね……言っててハズイけど(笑)。

okadada スカートのそういうところがかっこいいと思いますね。

澤部 はっぴいえんどにおける松本隆さんの歌詞は、たとえば“春よ来い”みたいに、〈家さえ飛び出なければ〉とか〈今はただやってみよう〉とか言うんだけれども、それが果たして何によって起こされた気持ちなのかには触れない。そういうふうに漂ってる感じで、起承転結のどこかを描きたいんです。結局、何を思い起こすかなんですよ、自分の中で。だから(聴き手に)これを思い描いて欲しいんですっていうものは作らない。みんなそれぞれ何かがあって、みんなの中にあるものに私は賭けますっていう感じ。昔、佐藤優介(キーボード/スカートのバンドメンバー)くんにこういう話をしたら、「先輩はロマンチストですよ」って言われた(笑)。

okadada ロマンチストですよ。僕は歌詞を書かないけど、よくわかる。僕はこの5年くらい、ポップソングのアルバムをあんまり聴けなくなっちゃって、一通り聴いて「いいな」とは思うけど、2回聴くものは少なくなってる。それは良くないとかじゃなくて、歌詞もメロディもコードも情報が多すぎて、ぐったりして繰り返し聴けないんですよ。去年くらいからは改めてダブにハマってて、去年『Warm Up House』と『Practice Dub』っていうCD-Rの作品を作ったんですけど、両方本当にワンループのダブをアナログ卓でのミキシングだけで完結させてみて、「音はやっぱり減退していくのがいいんだよな」とか「音が消えるか消えへんかのところが聴けるのがうれしい」みたいな、どんどんそういう世界に行っちゃって。音響の楽しさだけを考えてみようみたいな感じになってます。

澤部 それって、何かきっかけはあったの?

okadada たぶん元々そうだと思う。「でっかい音が鳴ってると人がめっちゃ踊るってなんなん?」みたいな、素朴な疑問があったから。そもそも大多数の音楽ファンは、「家で真面目にCDを聴く」とか音だけを取り出して評価するのが正しい音楽の聴き方だと、刷り込まれてるじゃないですか。僕もそうだったし、真面目に座って聴いて「これが音楽」みたいになってたけど、DJを長くやってるうちにだんだんとそれが唯一の正解でもないな、というふうに思えてきて。「音だけを他と分離させて純化するのが真の音楽なのか? 踊りながら聴くのが不純だと思われるの何故なのか?」みたいになってきて、音とそれが鳴る場所と時間の関係にどんどん興味が湧いてきてた。その結果として、サルサみたいに街でできた音楽とか、ダブみたいな市井の人が作った音響芸術とか、そういう方向に興味が向いたというのがこの何年かの僕の音楽の傾向です。それはそれとして今回スカートの『スペシャル』を聴いて、「別の方向で極めとるな」と思ったんですよ。

澤部 あはは。そうなんだ。

お前は変わっちまったな。

okadada 「これはスカートというバンドのファーストアルバムです」みたいなことをインタビューで言ってましたけど、確かにまとめて聴くと、今までとは変わった気がする。

澤部 okadadaくんとは違う方向で、僕も極まってるのかもしれない。昔から、「なんでポップソングって4分とか5分とかあるんだ?」と思ってたんですよ。60年代だったら2分半で済んでいたことを、4分も5分もかけて、しまいにはフェードアウトしていくのはなぜ?って。だから、ファーストアルバムの『エス・オー・エス』は13曲入りで34分とかだったし、40分超えのオリジナルアルバムって1枚もないんです。それは僕が、バーッと聴いて、「何、今の? もう1回聴こう」が好きだから。それってすごい漫画的でもあるような感じがするんです。

okadada ああー。はい。

澤部 僕が漫画を読む時に、目の前で起きてることを目で追って理解しようとするんだけど、理解が追いつかないままに手が進んでいって、話が進んでわけわかんなくなるみたいな瞬間が時々あって、それが理想の体験なんです。今回のアルバムだと“スペシャル”や“ぼくは変わってしまった”はそういうふうに作った曲です。

okadada アルバムを聴きながら「今なんつった?」みたいな感じは、3回ぐらいありましたね。「なんかすごいこと言ったね」みたいな。特に1曲目が“ぼくは変わってしまった”から始まるのが意味深で。

澤部 これはね、種明かしをすると、数年前に初めて同窓会に行ったんですよ。僕、小学校の時の卒アルを中1の時に捨ててるんです(笑)。子どもの頃って忘れたいことがいっぱいあるじゃないですか。思い出したくないこと、思い出してほしくないこともいっぱいあるし、同窓会とかに行って本当に楽しいのか?と思ったら……楽しかったんですよ。それがすっごい嫌で、「お前は変わっちまったな」っていう、そういう歌なんです。

okadada これまでのスカートの曲って、基本、〈澤部渡に起きたこと〉ではなかったじゃないですか。澤部さんが主人公に聴こえるものもあるけど、実際はそうじゃなかった。そこが今までと違うなと。

澤部 それはね、すごいはっきり言っちゃうと、売れたいんですよ。で、どうやら自分のことを歌ってるように聴こえる人が売れてるぞと(笑)。どんな演劇っぽいことでも、その人が歌ってるように聴こえるのが大事なのかもしれないと考えた。でも何かの物語を描いて、それを自分に起こったこととして歌うのは、今の僕には絶対できない。じゃあ実際起こったことをいったん歌にしてみようと思って、それで様子を見てるんですけど、「澤部くん大丈夫ですか?」って言う人もいた。ミドルエイジ・クライシスみたいに映った人もいたみたいで。そうじゃなくて、むしろせいせいした感じなんだけど。

okadada “スペシャル”の〈スペシャルな予感は勘違いだった〉という歌詞を、明るく歌っているのが僕は好きです。「僕の人生が特別じゃないなんて。あははは」「ま、しょうがないか」みたいな、そういうのが好き。

澤部 “スペシャル”という曲はいろんな漫画と映画の複合で、昨年に映画「ゴーストワールド」がリバイバル上映されて、僕は初めて見たんですけど、歌詞に出て来るバスのモチーフはたぶんそこから来ています。さっき90年代、2000年代のアフタヌーンという話をしましたけど、小原愼司さんの作品がすごい好きで、この人の漫画の中に、なんてことない授業の風景の描写があったゆえで、現国の教師が太宰治の「津軽」の最後のフレーズを引用して、「私は若い頃にこの終わりに勇気づけられました」と言うシーンが1コマあるんです。何の重要性もないコマなんだけども、その感じがいいなと思って、「津軽」の最後の〈元気でいこう。絶望するな。では失敬〉を忍ばせたりしましたね。孫引きみたいに。

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Ryota Tanaka
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